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so-net blog、重すぎません? と思うこと [日常]

本当にここに新規スレを立てるときは、決まってクレームばかりですが。

最近、復興の兆しも見えてきて「良い感じだなあ」と思っていたso-net blogですが…。

ものすごく重いです。

動画配信も出来るようになり、こちらに戻ろうかと思い始めていたものだから、余計にショックです。

以前のように、コメント付けた後にエラーが出て吹っ飛んでしまうと言うことは、現段階ではまだないものの、反映されるまで下手するとたっぷり5分はかかります。ちゃんと反映されるまで、ものすごく不安です。

nice!ひとつ付けるにも同様なので、お友達のブログを周りきるまでに、下手すると1時間くらい掛かります。

早急な改善というのは難しいのかも知れませんが、それならば、せめて、その原因と思わしきものくらい、事務局からアナウンスがあっても良いのではないでしょうか。

ユーザーが納得出来るくらいの情報公開だけでも、早急にお願いいたします。


so-net blogのワケワカ広告に反対すること [日常]

とにかく、各スレッドに付けられる安っぽい広告に反対いたします!

これ以上、so-net blogの品位を落とさないで頂きたい!

これではスパムTBと何ら変わらないではないですか!


運動音痴なこと [日常]

よくは覚えていないんですが…。
おそらく、小学校の1年生だったと思います。
体育の時間。跳び箱の1段目をクラス全員で順番に飛んでいたんですが、どういうわけか私だけは跳べなくて。
何度も何度も跳ばされたんですが、やっぱり跳べなくて。

それからだと思います。体育が嫌いになったこと。

それからというもの、体育の授業の前になると胃が痛くなったりお腹が壊れたり。
「小学生で胃痛持ち」と言うことで、先生方の間では、密かに噂になっていたみたいです。(^^;

だから、小学校6年生になるまで、鉄棒の逆上がりは出来ないわ、水泳は5mしか泳げないわ、跳び箱も3段跳べないわと言う、徹底した運動音痴でした(泣)。

でも、ある時から遊び始めた「うんてい」のおかげで、私の運動音痴は徐々に改善されました。

うんてい。ご存知ですか? 漢字では「雲梯」と書くそうです。「雲の梯子」…なんか良い響きです。(^^)

それは校庭の端っこにポツンと置いてありました。誰にも遊んでもらえないその遊具を見て「寂しそうだな…」何となく、ですが、そのとき私は呼ばれたような気がしました。
遊び方(?)はなぜか分かりました。ぶら下がるようにして、1段1段前に進みます。でも、すぐに手が痛くなって降りてしまいます。

そんなことを何回か続けているうち、手にマメが出来て、あまり痛くなくなりました。
身体を揺らしてリズムを取り、「1段抜かし」で進めるようになりました。
徐々に進む距離が増え、端から端まで行けるようになりました。

その頃からです。
跳び箱がいきなり6段まで跳べるようになりました。しかも閉脚跳びも出来るようになっていました。
自分の背よりも高い鉄棒で、逆上がりが出来るようになりました。
水泳も、息継ぎが出来るようになり、小学校卒業までに16mは泳げるようになりました。

その頃には、なぜかたくさんの下級生たちが、うんていを使って遊ぶようになっていました。
「あなたが遊んでくれたおかげで、私は鉄棒が出来るようになったよ。どうもありがとう」
そのとき、たくさんの子供たちに囲まれたうんていは、心の中でお礼を言う私に「楽しかったよ。ありがとう」と返事をしてくれたように思えました。

でも、私の「体育恐怖症」は収まりませんでした(笑)。だって、今度は何をやらされるのかと思うと、もう胃が痛くて…。(^^;
おかげで、私には「別の力」も付いたのかも知れません。でも、それはまた別の話。


ネコの洗濯、のこと [日常]

昨日、お義母さんのお宅へ、旦那と一緒に行ってきました。

途中、能勢電鉄というローカル線に乗り換えるため、川西能勢口という阪神電鉄の駅で下車。この駅からそう遠くないところに川西池田というJRの駅があります。先日の福知山線の脱線事故現場から、ふたつばかり離れた駅です。
風に乗って、いろいろな音が聞こえてきます。中にはあまり聞きたくない声なども混じっていて、行き帰りにへこみました。
お義母さんのお宅に寄ってからもいろいろなことがあったということもあり、今朝のニュースで、事故当日、JR西日本職員がボーリング大会をし、その後居酒屋に寄っていたなどと言うことを知らされるに付け、朝から気分がへこんで憂鬱でした。

でも、今日は旦那の連休最終日。気温もかなり高いので、今日はうちのネコを洗ってしまおうと、以前から計画していました。

「へこんでいても仕方ないので、一気にやってしまおう!」旦那とふたりで1匹ずつ風呂場に連れてきては、ネコ用シャンプーで洗った後、タオルで水気を拭いてドライヤー掛けします。
キャベツは逃げようとするものの、本気で逃げれば私に殴られるのを知っているので、全身強張らせながらもじっとしています(笑)。
チビは逃げさえしないものの、洗われている間中、大声で「怖いよー!」を連呼。あまりに怒鳴るので、一足先に洗濯の終わったキャベツが心配して見に来る始末です(爆)。

2匹の洗濯が終わった後は、夫婦揃ってくたくた。でも、不思議と朝の憂鬱感や倦怠感は消えていました。人間、必死になった後は、気分が変わるものなんだなあと思いました。

洗濯が終わって、見事にふかふかになった2匹の写真です。

きっと数日しか保たないのでしょうが、今は2匹とも洗い立ての毛布のようです(笑)。
私もついつい触っては、気持ちの良い感触を楽しんでいます。旦那は頬ずりしっぱなしです。(^^;

 


堅気(かたぎ)でない人たち、のこと [日常]

堅気でない商売と言えば、私の仕事も十分それに相当すると思うのですが…。(-_-;

私が生まれ育ったのは、東京は足立区の千住と言うところ。頭に「ど」が付くほどの下町です。
お祭りや盆暮れ正月には、かならず露店・夜店といった、少し怪しげなお店が軒を連ねます。そうしたお店を管理・運営している(?)のが、いわゆる「堅気でない人たち」です。(^^;

お祭りになると、どこからともなくやってくるこうした人たちが、小さい頃から周りにたくさんいたため、私にはあまり怖い人には思えませんでした。

銭湯に行くとき、私は4歳くらいまで父と一緒でした。
男湯に行くと、そこには決まってきれいなお姉さんや龍、お魚が背中で泳いでいるお兄さんがたくさんいて、よく遊んでもらっていました。
ある日、私がボーッと眺めていると、
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
「お魚、きれいだなーって」
「そうかそうか。お嬢ちゃんが大きくなったら、お嬢ちゃんの背中にもお魚、出てくるかも知れないよ」
「ホント?!」
「ほんと、ほんと」
こんなお話をしているとき、父は決まってハラハラしていました(笑)。

祖母から聞いたところでは、私の祖父は大変気前のいい人だったようです。
給料日になると、いただいたお給料を全部持って飲み屋さんに出掛けた挙げ句、そこにいた人たちに大盤振る舞いしてしまうことがたびたびあったようで、祖母はずいぶん泣かされたそうです(そうでなくとも、祖父は大変おしゃれな人でした。高価な革ジャンや時計などをなりふり構わず買ってきてしまうことも良くあったようです。今、祖父の形見である腕時計は父に、革ジャンは私のところに来ています)。
そのため、祖父は「堅気でない人たち」の間でもずいぶん有名な人だったらしく、組に若い衆(笑)が入ってくると、わざわざ私の家まで訪ねてきて「よろしゅうお願いします」とご挨拶に来ていました。(^^;
そんなとき、父はいつもハラハラしていました(笑)。

小さい頃、私は父に連れられて、よくパチンコ屋さんに行っていました。(^^ゞ
私にとって、パチンコ台は普通のおもちゃと何ら変わるものではありませんでした。玉を父にもらってチャラチャラ打って。ときどき大当たりするのが楽しかったのを覚えています。
そう言うお店には、大抵「堅気でない人たち」もいらしてます(笑)。大当たりしている私を見て
「お嬢ちゃん、景気良いなあ」「良い子だから、少し玉、分けてくれないかなあ」
「だめ! お父さんにあげるの!」
というとそう言う人たちは
「お嬢ちゃん、良い子だなあ」
と、決まって大声で笑い、私の頭を撫でてくれました。
父はそんな様子を見て、ハラハラしていたようです(笑)。

「火事と喧嘩は江戸の華」だそうです。
いくつもの小さな「XX組」があったため、近所で喧嘩が起きることは日常茶飯事でした。
夏の暑い日は玄関を開け放して、障子だけで過ごすことも多かった我が家ですが、突然、その障子を突き破って、血だらけの腕が飛び出してくることもありました。そんなものを見慣れてしまった私は、巷の怪談くらいでは驚かなくなっていました(笑)。
こんなとき、父はやはりハラハラしていました(笑)。

たしかお祭りのときだったと思います。
不躾にも私は、そのころ顔見知りだった「堅気でない人」に、「おじさんは悪い人なの?」と聞いてしまったことがあります。
するとおじさんは笑って
「そうだなあ…悪い人だなあ」
「でも、おじさん、やさしいよ」
私がそう言うと、そのおじさんはやはり笑って
「お嬢ちゃん、よく聞きな。おじさんたちやくざは、堅気の人には手を出さねえんだ。堅気の人に迷惑を掛ける奴らは、ただのちんぴらだ」
このとき、私の中には「やくざ=良い人」「ちんぴら=悪い人」という図式が出来上がりました(笑)。

いつの間にか、近所から「XX組」という名前はなくなり、背中に彫り物をしていたおじさんもいなくなりました。今では懐かしい思い出です。
つい先日まで放送されていた「ごくせん」を観て、ふと、そんなことを思い出しました。


またしても、我が家の同居人が…のこと [日常]

先日まで、さんざん手間を掛けてくれた我が家のネコですが。

今度はキャベツ(長男)の具合が良くないようです。

何度もトイレに行ってはしゃがみますが、オシッコが出ない様子。そのくせ、あっちこっちでポタポタとオシッコを漏らします。
でも、お腹を触っても膀胱が膨らんでいる感じはありません。膀胱炎か尿道炎を起こしているのかも知れません。

今日はこれからまたお医者様へ連れて行きます。

こんな有り様なので、またしばらくブログの更新は不定期になります。せっかく訪ねてきてくださったみなさん、ごめんなさい。m(__)m

落ち着いたら、また始めさせて頂きます。それまで時間を見てはプラモデルの写真を撮ったりして、準備を進めます。(^^)

早く直ってくれると良いなあ…頼むよ、ホント。

 

追記
今、お医者様から帰ってきました。尿道結石だそうです。
最初にカテーテルを尿道に入れて、尿道に詰まっている石を膀胱まで押し戻さなくてはならないのですが、もう痛がっちゃって。
最初、血尿とか出たので心配しましたが、たくさんオシッコ出てホッとしました。先生からは「このまま放っておいたら2、3日で死んじゃうよ」とか言われて泣きそうになりました。
帰ってすぐトイレに駆け込んだので、「また?!」と慌てましたが、今度は自発的にオシッコ出て一安心。

でも、当面は毎日動物病院へ行かないとダメみたいです。膀胱の中にまだ石があるので、それが全部出きってしまわないとダメだそうです。
今まで食べていたペットフードもダメで、これからは、膀胱の中の石を溶かすための特別なドライフードのみ食べさせてくれ、と言われました。
それが終わったら、今度は石が出来にくいペットフードだけで過ごさないと行けないようです。
また、キャベツと一緒のご飯を食べていたチビも、もしかしたら同じような体質になっている可能性があるので、チビの食生活も変える必要があるかも知れません。

帰ってきた途端、頭痛いわ、気持ち悪いわ…しんどい(泣)


プライド、ということ [日常]

あるお友達が、ご自分のブログで「プライド」と言うことについてお話ししていました。思い当たるところがありましたので、私のあくまで個人的な意見として、少しだけお話しさせてください。

私が今のハンドル名を使うようになったのには、いくつかの理由があります。
結婚する前の名字の音が「キャオ」に近かったので、学生の頃からこの名前で呼ばれていたということ。
そのほかに、もうひとつ、私が好きになったアニメのキャラクターの名前が「キャオ」だったことがその理由です。

彼、「ミラウー・キャオ」は、最初、本当にどうしようもない男性に見えました。
お調子者で、悪乗りしては友人の足を引っ張ります。おまけに大の女付き。(^^;
そのアニメの中で、彼が反乱軍に入ったのも、単に「友人が反乱軍に入ったから」というしょーもない理由からです。現に、反乱軍で働くようになってからも、彼は正規軍の軍服に憧れているという軟弱者です。

あるとき、彼は「正規軍のスパイじゃないか」と疑われます。
味方である反乱軍から疑われただけでなく、彼は命まで狙われます。そこを正規軍のスパイに助けられるというなりゆきもあり、彼は「反乱軍のリーダーを暗殺してくれ」と依頼され、それを引き受けてしまいます。

千載一遇のチャンスに恵まれ、彼はとうとう反乱軍のリーダーに銃を向けてしまいます。
ですが、そこに今まで彼と行動を共にしてきた友人が止めに入ります。
「どのみち疑われているなら!」と開き直る彼に、友人は話しかけます。
「みんながお前を疑おうと、俺がお前を必要としているんだ!」
友人のこの一言で、彼は行動を翻し、再び反乱軍のひとりとして戦うようになります。
この友人の一言は、私の見識も一緒に変えていました。「このキャオって言う人…たしかにお調子者だけど、単純なだけなのかな? わかりやすい人だね」(^^;
このときから、私はこの人が好きになりました。そして、このお話のサブタイトルが「プライド」だったのです。

このストーリーから私が学んだこと。それは「プライドは他の人から与えられるものなんじゃないかな」と言うことでした。

ときどき、私たちは「プライド」と「自惚れ」の区別が付かなくなっていることがあるような気がします。ですが、似て非なるこの両者には決定的に違うところがあります。
真のプライドが他者から与えられるものであるなら、「自分を信じてくれるもののため」「自分を必要としてくれるもののため」頑張ることが出来ると言うことです。

企業や組織で仕事をしていれば、誰もが一度は「この仕事、自分でなくとも出来るんじゃないかな」と思ったことがあるのではないでしょうか。なら、自分がここにいると言うことに、何か意味があるのかと。
ですが、他者から自分が必要とされているから、と信じることが出来る人はそこで強くなれます。他の人が認めてくれている。だからその人たちのために頑張りたいと。そしてその人たちから自分の価値を認めて貰える。だからもっと頑張りたい。
これこそが「他者との間で自分が生かされている」と言うことですし、本当の意味でのプライドだと思うのです。

これまでいろいろな書籍を読むにつけ、「ああ、この人には絶対敵わない」という文章に何度も出会いました。そのたび、自分自身のライターとしての才能に恵まれてないのかなあと悩みました。
けれど、「瀬戸際の魔術師」などとありがたくないふたつ名を貰いつつも、「君にしか頼めないから」と言ってくださる出版・編集のみなさんがいたから、私は今までやってこられました。この思いがある限り、これから先も私はライターという仕事を続けていくと思います。

これがライターとしての私のプライドです。


風邪を引くたびに、変声期…のこと [日常]

個人的に、すっごく恥ずかしい話なのですが…。(-_-;

私、声が低いんです。

子供の頃から、低いことは低いようでした(よく覚えてない)。でも、中学生になった頃に変声期を迎え、余計に低くなりました。
周りの友達の声を聞いても、自分の声がかなり低いことはよく分かりましたから、髪を長くしたり、「女子らしいスポーツって何かなあ」とか考えて器械体操部に入ったりして、女らしいところを強調しようともしました。でも、それで声が変わるわけもなく、ますますドツボに(今にして思えば、カミーユ・ビダンの女性版をやってたんだなあ、私)。

普段から高い声を出すようにすれば、だんだん高い声になるかなあと思って無理していたこともありました。
ある日の朝、起きたら異様なハスキーボイスに。慌てて耳鼻咽喉科に掛かったら、先生曰く「声帯にポリープが出来ている」…ぐは。
「カラオケとか、いっぱい行ってない?(私、カラオケは嫌いです)」
「お酒とか飲んでないよね?(未成年だよっ!)」
「喉に無理掛けすぎるとダメだよ」と、さらに追い打ち。
幸いにも手術はしなくて済みましたが、これをきっかけに私の声はますます低く…(泣)。

高校生になっても、音楽の先生から「女性のテノールって珍しいから、声楽やってみたら?」と言われました。
友人からの電話に出ると、「お兄さんですか?」と言われ、そのたびにへこみました。
今の旦那から最初に電話を貰ったとき「あ、お父さんですか?」と言われ、「この人とは絶対に付き合わない…」と、心に決めたこともありました。(-_-;

年に2回くらい大風邪を引くのですが、喉ばかりをやられる私は、いつにもまして低い声になってしまいます。旦那からは「怒ってるようにしか聞こえない」とか言われる始末。
で、大声を出すときれいにひっくり返って裏声に(泣)。親からは「風邪を引いてるときだけ、あんたの好きな声優さんの仕事が出来るわね」とか言われてバカにされました。

つい先日も。
ピンポーン。ドアホンが鳴るので出てみると
「こんにちはー。近くの朝X新聞ですが、新聞、取って貰えません?」
「いりませんー」
「えっと、息子さん? お父さん? 1ヶ月でいいから…」
「いらないっ!」ガチャリ。
くっそぉ、X日新聞め! 絶対取ってやるもんかぁぁぁ!!!

というわけで。
特に風邪を引いているとき、電話の声が低くても、それはきっと私です。「お兄さん?」とか「お父さんですか?」とか聞かないでください。本人は結構傷ついてます。(;_;)


花粉症のこと [日常]

暖かくなってくると、憂鬱なことがふたつあります。

ひとつは確定申告。わざわざ虐められるために税務署に出向かなきゃいけないような気がします。頼みもしないこと、調べてきて文句言うし…ぶちぶち。

もうひとつは花粉症。毎年悩まされまくりですが、今年は輪を掛けてひどいと言うじゃないですか。
昨日辺りから、その症状が出始めてすっごく憂鬱。汚い話で恐縮ですが、鼻水は出るわ、目はかゆくなるわで、落ち着いて家事も出来ません。ひどくなってくると身体がだるくなって微熱も出ます。

おかげでPoserでフィギュア作ろうという意欲も削がれてクテクテです。今日は大人しくしていよう…しくしく。


我が家の同居人、のこと [日常]

正直、私は動物を飼うのは反対でした。
動物は好きです。イヌもネコもヘビも(クラゲとか、イソギンチャクとかはパス。海の軟体動物系はどれも苦手)。でも、人間に比べれば、この子たちの寿命はずっと短い。この子たちを残して死ぬのもイヤだけど、いつもいつも「見送る側」なのは、もっとイヤだから。

でも、旦那は拾ってきてしまった。拾ってきた以上、どんな事情があろうと、育てなければいけないのは私たちの義務だと思いました。そして最後まで見守るのも。

そんなわけで、今、うちには2匹の猫がいます。

キャベツ。うちの長男。命名は私。
きっと八百屋さんの段ボールの中にでも住んでいたのでしょう。拾ってきたこの子を最初に見たとき「…キャベツの匂いがする」という私の言葉から、この名前になりました(笑)。

チビ。うちの次男。命名は旦那。しばらく前まで、さんざん手こずらせてくれたのがこの子です。
最初の子がキャベツだし、額には「M」のマークも入っているから、当初この子の名前は「芽キャベツ」の予定でしたが、「身体が小さいから」と旦那が無理矢理命名。「絶対キャベツよりおっきくなるのに、チビは変だよ」と言っていたのですが、案の定、今はキャベツより一回り以上も大きくなりました。目つき、悪いです(旦那曰く、「お前に似たな」…ほっとけ)。

あまりうちでは「ペット」という認識はしていません。おそらく、この子たちも私たち夫婦を「自分たちと同じネコ」としか見てないでしょうし(笑)。
そのため、ご飯の時間もうちでは「みんな一緒」です。叱るときも、旦那を叱るときと同じように叱ります。(爆)。
叱るときは両足を捕まえて目を見て叱ります(言うことがわかる訳じゃないだろうけど)。プイと横を向くと「人の話を聞くときは、ちゃんとその人の目を見る!」と、強制的に顔をこちらに向けさせます。(^^;

ほとんど私だけが叱りつけているので、この子たちにとっては、「私=怖い人」のはずなのですが、旦那よりも懐いてくれてます(笑)。きっと食事やトイレの世話をしているのが私だと、どこかでわかっているのでしょうね。(^^)
ただ、どういうわけか、すごく甘えたになってしまいました。人が食事をしていようがテレビを見ていようが、背中を引っ張って「だっこ! だぁっこぉ!」とねだります。片方だけ可愛がるわけにもいかないので、結構大変です(ちなみに旦那にはだっこはねだりません)。
夜になると私の布団にのってくるので、毎晩、金縛り状態です(ちなみに旦那の布団にはのりません)。

これから先、お医者様のお世話になることも多くなってくるのだろうと思うと悲しくもありますが、私たちの奇妙な同居生活は、まだしばらく続きそうです。


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