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プライド、ということ [日常]

あるお友達が、ご自分のブログで「プライド」と言うことについてお話ししていました。思い当たるところがありましたので、私のあくまで個人的な意見として、少しだけお話しさせてください。

私が今のハンドル名を使うようになったのには、いくつかの理由があります。
結婚する前の名字の音が「キャオ」に近かったので、学生の頃からこの名前で呼ばれていたということ。
そのほかに、もうひとつ、私が好きになったアニメのキャラクターの名前が「キャオ」だったことがその理由です。

彼、「ミラウー・キャオ」は、最初、本当にどうしようもない男性に見えました。
お調子者で、悪乗りしては友人の足を引っ張ります。おまけに大の女付き。(^^;
そのアニメの中で、彼が反乱軍に入ったのも、単に「友人が反乱軍に入ったから」というしょーもない理由からです。現に、反乱軍で働くようになってからも、彼は正規軍の軍服に憧れているという軟弱者です。

あるとき、彼は「正規軍のスパイじゃないか」と疑われます。
味方である反乱軍から疑われただけでなく、彼は命まで狙われます。そこを正規軍のスパイに助けられるというなりゆきもあり、彼は「反乱軍のリーダーを暗殺してくれ」と依頼され、それを引き受けてしまいます。

千載一遇のチャンスに恵まれ、彼はとうとう反乱軍のリーダーに銃を向けてしまいます。
ですが、そこに今まで彼と行動を共にしてきた友人が止めに入ります。
「どのみち疑われているなら!」と開き直る彼に、友人は話しかけます。
「みんながお前を疑おうと、俺がお前を必要としているんだ!」
友人のこの一言で、彼は行動を翻し、再び反乱軍のひとりとして戦うようになります。
この友人の一言は、私の見識も一緒に変えていました。「このキャオって言う人…たしかにお調子者だけど、単純なだけなのかな? わかりやすい人だね」(^^;
このときから、私はこの人が好きになりました。そして、このお話のサブタイトルが「プライド」だったのです。

このストーリーから私が学んだこと。それは「プライドは他の人から与えられるものなんじゃないかな」と言うことでした。

ときどき、私たちは「プライド」と「自惚れ」の区別が付かなくなっていることがあるような気がします。ですが、似て非なるこの両者には決定的に違うところがあります。
真のプライドが他者から与えられるものであるなら、「自分を信じてくれるもののため」「自分を必要としてくれるもののため」頑張ることが出来ると言うことです。

企業や組織で仕事をしていれば、誰もが一度は「この仕事、自分でなくとも出来るんじゃないかな」と思ったことがあるのではないでしょうか。なら、自分がここにいると言うことに、何か意味があるのかと。
ですが、他者から自分が必要とされているから、と信じることが出来る人はそこで強くなれます。他の人が認めてくれている。だからその人たちのために頑張りたいと。そしてその人たちから自分の価値を認めて貰える。だからもっと頑張りたい。
これこそが「他者との間で自分が生かされている」と言うことですし、本当の意味でのプライドだと思うのです。

これまでいろいろな書籍を読むにつけ、「ああ、この人には絶対敵わない」という文章に何度も出会いました。そのたび、自分自身のライターとしての才能に恵まれてないのかなあと悩みました。
けれど、「瀬戸際の魔術師」などとありがたくないふたつ名を貰いつつも、「君にしか頼めないから」と言ってくださる出版・編集のみなさんがいたから、私は今までやってこられました。この思いがある限り、これから先も私はライターという仕事を続けていくと思います。

これがライターとしての私のプライドです。


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チカリ~ナ

kyaoさん こんにちは(*^-^*)!
雨になりましたね。
と、
kyaoさん、ライターをされているんですか(☆o☆)(☆o☆)(☆o☆)!!
どうりで 文章がとってもわかりやすく、そつなく、お上手なわけだ(o^ー')b
文面にキラリと光る知性が感じられますもの!
>このストーリーから私が学んだこと。それは「プライドは他の人から与えられるものなんじゃないかな」と言うことでした。
by チカリ~ナ (2005-03-22 17:11) 

チカリ~ナ

すみません、操作ミスで 上のコメントが送信されてしまいました(あたふた)

>このストーリーから私が学んだこと。それは「プライドは他の人から与えられるものなんじゃないかな」と言うことでした。
そうですね、他の人によって 自分の中にあったプライドや勇気が
呼び起こされるのでしょうね。
自分には自分にしかできないことがあり、それを自覚して行動していく。
これは『使命』に近いものなのかも知れませんね。
『なんのために』というものをしっかり持っている人は強いですもん。
それをしっかりと自覚されているkyaoさんはすごいと感じます!
人間は 向上しようとする限り悩むものだから、
悩みながらでも それを突き抜けて書き続けたら、また
違った文才が拓けてくるでしょうね!
陰ながら 応援しております (p^-^)p q(^-^q)
ガンバレ kyaoさん!
私も違う道だけど、頑張ります(*^-^*)!
by チカリ~ナ (2005-03-22 17:25) 

りんたろ

必要とされること→やりがい これは大切なことですね。うぬぼれとは全く違った質のものです。私も必要としてもらえるように精進していこうと思います。
さすがライター、説得力がありました。これからも才気あふれる文章を楽しみにしています。
by りんたろ (2005-03-22 18:27) 

kyao

チカリーナさんへ
こんにちはー。レスをどうもありがとうございます。先日お送りしたメール、無事に届きましたか? ネコのトーテムポール、見て頂けると嬉しいです。(^^;
>文面にキラリ
ぐは…。ライターと言っても私はどこまでも3流ですから…そんなにおだてられると困ってしまいまふ…。(^^;
>『使命』
そうですね。大きく括ればそう言う言葉で表すことが出来るかも知れませんね。(^^)
だから、突き詰めれば「自分が何のために生まれてきたのか」と言うところまで行き着いてしまうかも知れません。逆に言えば、「自分が生まれてきたわけを知る」と言うことが、最後のプライドになるのかも知れませんね。(^^)
>私も違う道だけど
いえいえ。チカリーナさんは私よりもっともっと実感されているのではないかと。
医療関係に従事されている方は、患者さんからの「ありがとう」の一言が嬉しくてお仕事されているという人、多いのではないでしょうか。「社会に貢献したい」とか「人の命を救いたい」とか、そういう大きな目標の前に「ありがとうって言われたことがとても嬉しかったから」とか、そういう理由でお仕事されている方って多いように思います。それだって立派なプライドですよね。(^^)
チカリーナさんも、きっと毎日のお仕事、本当に大変だと思います。どうか本当にお身体に気をつけてくださいね。ガンバ!!(^^)

りんたろさんへ
こんにちは。レス&ice!をどうもありがとうございます。嬉しかったです。(^^)
>必要とされること→やりがい
お仕事をしていく上で、このことってとても大きな力になると思うんですよ。無論、お仕事って「良いギャラを貰える」とか「有名になる」とかも立派な理由にはなるんですが、最後の最後で自分を鼓舞するには「自分の仕事が、誰かの役に立つかも知れない」という部分のように思えるんですよね。それって何のためでもない。結局はそれがプライドだと思います。
でも、こうしてそれを語ってくださるりんたろさんは、きっとそのことをよくご存知の方なのだろうと思っています。肉親の方はじめ、りんたろさんの力を必要とされている方はきっとたくさんいらっしゃいます! ガンバです!(^^)
by kyao (2005-03-22 19:45) 

norinori

こんばんは。今日、九州から京都に戻ってきました。心配して頂き、ありがとうございます。
>他の人が認めてくれている。だからその人たちのために頑張りたいと。そしてその人たちから自分の価値を認めて貰える。
今行っている派遣先で自分の中ではまだまだと思っているのに、社員さんが「norinoriさんがいて、本当に助かるよ」と言って頂けます。そんな言葉を頂くと、とてもありがたい気持ちになります。もっと社員さんのために頑張ろうと。ちょっとでも忙しい社員さんの助けになりたいと。そう思います。そういったことってプライドなんですね。kyaoさんの記事を読んで納得しました(さすが、プロ)。
>私はライターという仕事を続けていくと思います。
norinoriの新卒のときの就職希望業界は、マスコミ(新聞社)でした。新聞記者になりたかったのです。全然努力もしてなかったので、見事撃墜されましたが。そんなこともあり、ライターの仕事をしていらっしゃるkyaoさんは羨ましいです。また、自分でブログをしているのは擬似的にでも記者になれると思っている部分があるような気がします。
by norinori (2005-03-22 22:45) 

kyao

norinoriさん、こんにちはー。レス&nice!をどうもありがとうございます。
お、お帰りになられたのですね。ご無事で何よりでした。(^^)
でも、連休でしたから、norinoriさん同様、旅行に出掛けた先で災害に遭われたという方もいらっしゃるかも知れませんね。怖いなあ。
>「norinoriさんがいて、本当に助かるよ」
嬉しいですよねー、こういう言葉。こういう言葉が聞けるから頑張っちゃおうみたいに思ってしまいます。人は「単純だなあ」とか言いますが(自分でもそう思う(笑))、元々、世の中って単純なのが本当の姿なんじゃないかと思っていますから、これで良いのかな、と(爆)。(^^ゞ
>就職希望業界は、マスコミ
おー、そうでしたかー。でも、私がこの業界に入ったというのも、実は変な偶然からなので、あまり自慢出来ません(そのうちスレ立てると思いますが)。(^^;
>擬似的にでも記者になれる
おお、なるほど。そう言われて私も気が付きました(笑)。これまでは単純に自分自身の意志発現の場とばかり考えていましたが、そういう考え方も出来ますよねー。(^^)
みなさん、携帯電話を持ち歩くわけですから、その場で写真も動画も撮れる。原稿さえ書くことも出来る(笑)。そう思えば、国民総記者化?(^^;
by kyao (2005-03-23 09:26) 

Kyaoさん、おはようございます。神戸の自宅での用事のために昨晩、暴風雪が吹く中国山脈を走り抜け(車で・・・)、今朝、用事をする前に自宅のPCからKyaoさんのページにお邪魔しております。(「ある意味」、リスポンスが遅くなって申し訳ありません。)
プライドとは・・・「他者から与えられるもの」との考え方。確かに自身のプライドは、自分の周りにいる他者との共存社会のなかで意識・無意識の別なく芽生え、育つものであるのでしょうね。私は、司馬先生が言われる「人間の本然に近い感情」という考えに共感しています。その本然の感情は、他者からの影響で「良質」と「悪質」な二面のプライドを自身が持つとも思います。
「必要」と他者から切望される自分の存在は、自身に良質でけがれのないプライドを受け入れやすくするものだろうなぁと考えます。付与された無意識のままの本然の感情(プライド)を勘違いして、何の加工もせず表面に浮上された場合は、他者から「自惚れ屋」という見方を与えてしまう虞があるんじゃないでしょうか?
私がKyaoさんの記事を読ませて戴いて自分なりに分かったことの一つとして、良質なプライドは、品性を兼ね備えた「自負」であり、自身の内部で己の「気品」を磨き上げていく心の研磨剤ではないかと思います。磨かれた心は、他者へは穏やかであり、他者はその心の持ち主を必要とするのではないかと考えます。一方、悪質なプライドは、自己内部に磨きのプロセスを持たず、外部(他者)との接点では気品を他者に与えられない分、言動のなかに直截的な自己表現を置き、他者からは結果的に疎んじられてしまう負の心なんじゃないかと思います。
他者からプライドを「傷つけられる」ということは、生活しているなかで起こりますよね。傷を負ったプライドとは・・・?こう考えてもいいのでしょうか。負傷した心とは、「自分の中に育んだ他者への好意的な思い」と「他者が自分に示した他者自身の冷たい思い」とのギャップ(亀裂)の発生による心の痛みのようなもの。
話が長くなりました。ごめんなさい。
by (2005-03-25 10:39) 

kyao

木鶏さん、こんにちは。いつもレスをどうもありがとうです。
ニュースで観ましたが、あの暴風雨の中、ご自宅へ向かわれたのですか? 夜半から雪になったところもあったと伺いました。どうか事故などないように。ご無事でお帰りになるよう、お祈りしていますね。
>二面のプライド
そうですねえ…個人的には、いわゆる「他者から裏打ちされた自己の価値」が得られない場合、自ら自身の価値を見出さないとならないですよね。そこでいろいろな価値のすげ替えみたいなものが行われてしまうのが原因ではないでしょうか。
>心の研磨剤
というか、私はこれこそが「他者からの評価」のように思えますが、いかがでしょう。
周りの人からは、良い評価も悪い評価も受け取ると思うんですね。でも、それらがご本人にとって善きものであるとき、心はその良い研磨剤によって輝きを増します。ですが、単純なおだてだったり、間違った評価であったりすると心は徐々に輝きを失っていくような気がします。
>ギャップ(亀裂)の発生による心の痛み
うーん…。それはやはり、その言葉・行為を受け取ったご自身の評価によって変わってくるのではないでしょうか。
以前、「石に躓く」という事件ひとつをとっても、それを悪く捉えるか良いことと捉えるかで、自分の中の幸福感は大きく変わるというお話をさせて頂いた覚えがあります。
結局は、そう言う局面でご自分にどれだけ自信が持てるか、あるいはどれだけ強く心を持てるかによって変わってくると思いますが、そのときそのときの状況に合わせて自分の瞬発力をどれだけ引き出せるか。それによってご自分の中でストレスになったり、ギャップを生むと言うことも少なくなると思います。いかがでしょう?
by kyao (2005-03-25 15:27) 

Kyaoさん、コメントありがとうございます。
>「他者からの評価」
そうですね、その他者からの評価を質的に自己分析できかどうかがプライドの良し悪しを決定するのでしょうか。

>ギャップの発生による心の痛み…言葉・行為を受け取ったご自身の評価
同感です。心揺さぶられる局面に遭った時にでも、痛み以上のものをその局面から見つけ出す能力が求められると私も思います。
自我をコントロールし、心を穏やかな常態に保てる強さがあれば、良質なプライドが他者の評価となって自身に身に付くのでしょうか。

週末は神戸で過ごし、日曜の夜に安全運転で山越えをします。Kyaoさんのお気遣いありがとうございます。
by (2005-03-25 18:04) 

kyao

木鶏さん、こんにちは。レスを何度もありがとうございました。
>質的に自己分析できるかどうか
はい。私はそう思います。感情的にならず、どこまで客観的に他者からの評価を分析し、次のステップにするための糧と出来るか。逆に言えば、そう出来るかどうかで、その人の評価も決まるのではないでしょうか。(^^)
>自我をコントロールし、心を穏やかな常態に保てる強さ
おそらく、それこそが「心の強さ」と呼べるものではないでしょうか。
人は時として感情に流されたり、偏見を持って事象と対峙してしまうことがあります。人の厚意を無にするということは、本来、こういう事を刺すのかも知れませんね。心の強さ、いつでも持ち続けたいものです。(^^)
神戸から、無事にお帰りになられますよう、お祈りしています。どうかお気をつけて。(^^)
by kyao (2005-03-25 22:02) 

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