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キムチチャーハンで大失敗! のこと [日常]

「ねえ、明日の晩ご飯、どうする?」我が家では夕食のとき、翌日の夕食を決めてしまうのが習わしです。
一応、旦那のリクエストは聞きますが、「何でもいい」は我が家では通用しません。我が家では「何でもいい=カレー」であり、しかもそれが何日でも続いてしまいます(笑)。

ちょうどそのとき、テレビでは「あるある大百科」を放送中でした。旦那は「チャーハンがいい」といいますが、「キムチは身体に良い」というお話でしたので、「じゃ、キムチチャーハンってどうよ?」という私の言葉で、次の日の献立は決まりました。

チャーハンは私の得意科目(笑)。キムチチャーハンはまだ作ったことがありませんが、そのときは「まあ、何とかなるだろう」くらいに思っていました。

次の日。いつも通りにチャーハンを作り始めました。
卵を溶いてスクランブルエッグを作り、その中に野菜やお肉を入れて…と、ここまではいつも通りの工程です。
ご飯はわざと冷やしてから入れます。でないと、炒めていったとき、チャーハンがベタベタになってしまいます。チャーハンの極意は「パラパラご飯」です(笑)。

ですが、ここで私は大失敗しました。1合分のご飯を炒め終わったところで、そこに700グラムものキムチを放り込んでしまったのです。「ちょっち多いけど、まあ、いいかぁ」

それがすべての元凶でした。余計な水分を吸ってしまったチャーハンは、みなさんの想像通りベタベタになってしまいました(泣)。しかも、多すぎるキムチは他の具材の味を見事なまでに消し去っています。見た目はキムチのドリアです。「ぐはぁ…大失敗だあ…(泣)」ベタベタのチャーハンくらい、美味しくないものはありません。

旦那には訳を話して、急遽、ラーメンを食べて貰いました。すべての失敗の責任を取るべく、私はキムチのドリアと格闘します。ぐは…案の定、美味しくない(泣)。

そして翌日(つまり今日)のお昼。キムチのドリアは、依然、冷蔵庫の中にありました。(-_-;
やけになって、フライパンで思いっきり焦がしたら、もんじゃ焼きみたいになって、それなりに食べられました。「次に作るときは、ちゃんと加減してキムチ入れよう…」

結論。
美味しくないものでお腹がいっぱいになることほど、腹立たしいことはない。(-_-;


みなさんにお話ししておきたいこと [日常]

うちには2匹の猫がいますが、ここ数日、そのうちの1匹の具合があまりよくありません。

詳しいお話が出来なくて恐縮ですが、(汚い話で恐縮です。お食事中の方、ごめんなさい)、今まで吐瀉したことがほとんどなかったにもかかわらず、1日に20回以上も吐瀉するようになってしまいました。
慌てて病院へ駆け込むも、原因は不明。レントゲンや血液検査でも異常は見当たりません。水を飲んでも吐き出してしまうところは、うちの旦那がときどき起こす腸閉塞に症状が似ているのですが、触診でもレントゲンでも閉塞している様子は見当たりません。結局は点滴を行うだけしかありません。

そのうち吐瀉物の中に血液と思われるものが混じるようになり、慌てて救急へ駆け込むも、やはり原因不明で点滴するだけ。帰ってきたのは午前2時を過ぎていました。

ここ数日は毎朝と毎晩、動物病院へ猫を連れて行く日々が続いています。いつでも起きられるようにとコートにくるまって寝ています。落ち着いてパソコンに向き合っている暇がありません。

こうした状況なので、しばらく新規スレッドは不定期に立てさせて頂くようになると思います。ここ「Reinaの雑記帳」にいらしてくださるみなさんには、大変申し訳ありません。みなさんのブログには、できる限り時間を作ってレスさせて頂きたいと思っています。

猫の様態が安定してきたら、これまで同様、みなさんといろいろなお話をさせて頂こうと思っています。それまでの間、よろしくお願いします。

Reina Stole こと、キャオでした。m(__)m


バレンタインデー、のこと [日常]

あまり良い思い出のないバレンタインデーですが、少し思いつくままに。(^^)

中学生の頃。どういう訳か下級生(後輩ではありませんでした。器械体操部は、中学2年の3学期には、事実上、辞めていたので)からチョコレートを貰いました(笑)。まったく身に覚えがなかったので、最初に貰ったときはすごく驚いたのを覚えています。(^^;

最初に見つけたのは下駄箱の中。絶対に男子の下駄箱と間違えているものだと思いましたが、付いていた手紙を読むと、どうも私宛らしい…。結局、3つくらい貰ったでしょうか。「キャオってば、女子にモテるのねえ」そのとき、一緒にいた友達にはずいぶん冷やかされました。(-_-;

直接手渡されたときには、さすがに面食らって「どうして?」と聞いてしまいました(笑)。その彼女の話をよーく聞いてみると、職員室で技術科や科学の先生と丁々発止していた私のやりとりを見ていたのだそうです。私は単純に好きな先生と好きな話をしていただけだったのだけど、それが格好良く見えたらしい。とはいえ、貰ってばかりでは申し訳ないと、私もちゃんとお返しはしましたよ。(^^)

高校生の頃はひたすら悲惨な思い出ばかり(泣)。というか、チョコは買ったものの、あとから話を聞いたら、すでに彼女がいたり、片思いしている娘がいる人ばかりだったので、渡せず終い。いつチョコを渡そうかとドキドキしていた気持ちは、ゴム風船がしぼむみたいに、あっという間に縮んでしまいました。とはいえ、捨ててしまうのももったいないので、チョコは父と(なぜか)妹にあげました。ふたりとも変な顔してたなあ(笑)。

会社でバレンタインデーを迎えるときが、いちばん面倒でしたね。総務の娘たちと一緒にチョコの買い出しに出掛けるのですが、会社の男性社員全員に渡さなければならないとなると、これが結構な数と金額になる訳です。そのため、ある会社では「バレンタイン貯金」みたいなことまでしていましたね。

で、ホワイトデーでのお返しがまた憂鬱だったりしました。負担する男性社員も大変だとは思いましたが、中にはやっぱりいるんです、チョコに平気で下着とかつけてくる人。ニコニコ笑って受け取る訳にもいかず、本気で悩みましたが、妻帯者が相手のときは「奥様にお知らせしておきますねー」の一言で解決しました(悪)。(^^ゞ

でも、女の子同士でバレンタインが来ると企画したのが「女性同志のチョコプレゼント」。今で言うところの「友チョコ」の先駆けみたいなものですね。いわゆる彼氏がいない女の子同士数人が集まって、お互いに買ってきたチョコを交換するというイベントです(集まるたびに「お互い、最後のひとりにはなりたくないよねえ」とは言い合っていましたが)。

誰の手に渡っても喜ばれたのは、やっぱりチョコレート本体にお金がかかっているものですね。あと、月並みですがハンカチとか。意外にウケたのはストッキングでした(笑)。中には派手なショーツとかつけてくる友達とかもいましたね(笑)。同性同士だから許されるものの、はっきり言ってセクハラです。(^^;

ちなみにアクセサリーや化粧品の類はペケです。その人の好みがありますし、化粧品は肌に合わないと言うこともあるので。

結婚してからこっち、バレンタインデーにもあまり気合いが入らなくなってしまったのが、ちょっち残念(笑)。結婚前、メール友達がたくさんいた頃は、それぞれにどんなチョコ贈ろうかなあと考えるだけでも楽しかったんですけどね。

みなさんのバレンタインはいかがでしたか? ちなみに私は、旦那に「冬のソナタ Plus」のDVDと、明治のアーモンドチョコを贈りました(笑)。


大阪へ帰ってきました、のこと [日常]

両親の確定申告や、お友達のお見舞い、陣中見舞いを済ませて、ようやく大阪に帰ってきました。正直、疲れたよー(泣)。

帰省する前から、ある程度は想像していましたが、やはり実家でも一般の家事手伝いの他、「ストーブ、棚の上に上げて。邪魔だから」「布団、上の方に仕舞って」と、肉体労働をしてきました。おかげで帰ってきたあと、身体中痛いの痛くないのって…(痛いんです、はっきり言って)。

幸か不幸か、旦那は結局東京へ来られませんでした。そうとわかっていれば、オフ会の予定とか、こっそり入れちゃったのに。(^^ゞ

冗談はともかく、「何時くらいに迎えに行こうかなあ」とか、「次の日、どこへ連れて行こうか」「帰りの切符はいつ頃取っておこうか」といったあれこれに気を回さずに済んだことは、正直楽でした。それでも、出版や編集にご挨拶するような時間がなかったのは残念。これでまたお仕事減っちゃう…しくしく。

東京でのあれやこれやは、ここには書ききれないので、ひとつひとつスレッドを立てたいと思っています。確定申告が終わって落ち着いたら、かねてより懸案の「物理入門シリーズ」も再スタートしようと考えています。

留守中にレスくださったみなさん、どうもありがとうございました。ひとつひとつご返事させていただきますので、よろしくお願いします。お待たせしてしまってごめんなさいね。また今まで同様、よろしくお付き合いくださいませ。(^^)


明日から帰省、のこと [日常]

遅ればせながら、明日から来週末まで、東京の実家に帰省します。

私の両親が両方とも年金を貰っており、リハビリもしているために、医療費控除をするだけでだいぶ違うんですよね。

旦那は仕事の関係で9日くらいに来る予定です。身体も身体なので「無理して来なくて良いよ。どうせまた6月くらいに来るんだし」と言っていますが、東京大好きの旦那なので、意地でも来るつもりみたいです(笑)。

とはいえ、脳梗塞で倒れてリハビリ中のお友達のお見舞いや、出版・編集に出向いて「お仕事、くださーい!」のお願いとか、胆管炎を押しておうちの商売をしているお友達の陣中見舞いなど、やること「てんこ盛り」です。それ以外にもおそらく実家に戻れば、蛍光灯の交換やら、エアコンフィルターの掃除やら、いろいろやらされるに違いない…しくしく。一体、何のために戻るんだか…(泣)。

そんなわけで、このブログの更新もしばらくお休みさせていただきます(実家にはADSLはおろか、一般の電話しかないので。Fomaは持っていきますが、パケット代高いんだもん…)。

戻ってきたら、今度は自分の確定申告などでまたしばらくパタパタしますが、落ち着いたらまた「物理入門シリーズ」など再開させていただこうかと思っています(笑)。そのときまた、お付き合いいただけると幸いです。

それではみなさん、また再来週にお会いしましょう。それまでお元気でお過ごしくださいね。では、行ってきまーす!(^^)


ゲームの功罪 -好きこそものの上手なれ、のこと(2)- [日常]

ここしばらく、やたらハードな話題ばかりだったので、ちょっち肩の力を抜きます(笑)。


うちの旦那は身体障害者です。右脳麻痺があるので、左耳は完全に聞こえません。言葉も不自由なので、日常会話は手話を交えることもしばしばです。指も普通の人のようには動きません。

そのため、私と結婚するまで、テレビゲームとはまったく無縁の生活をしていました。ゲームパッドを上手く扱えないんですね。ボタンを押したら押しっぱなし。放したら放しっぱなしになります。まして右手でボタンを押しながら、左手で十字キーやスティック操作などまったくできません。

そんな旦那に転機が訪れたのは、私がPS2と「リッジレーサー5」というゲームソフトを購入したときでした。

このレースゲームは「ネジコン」と呼ばれるコントローラに対応していました。このコントローラは文字通り「ねじる」ことでハンドル操作ができます。アクセルボタンを押しっぱなしでもハンドルを切ることができるので、旦那のように単純な操作しかできない人でもゲームが楽しめます。

案の定、旦那は見事にゲームに填りました(笑)。コーナーにさしかかるたびに、ベコベコになるほど車をぶつけますが、それでもNORMALレベルなら何とか勝てます。過激な操作でコントローラをふたつ潰しましたが(爆)、優勝をもぎ取ったときには、あまりに嬉しくて、本気で泣いていました。(^^)

それ以後、旦那は自分でカードゲームなどを購入してはプレイするようになりました。でも、左手が不自由なのは相変わらずで、パッド左側の十字キーやスティック操作の時には、右手にゲームパッドを持ち替えて操作していました。

旦那に次の転機が訪れたのは、私が任天堂のゲームキューブ(GC)で「Phantasy Star Online(PSO)」をプレイしていたときでした。

このゲームは、基本的にオンラインゲームでありますが、オフラインでもプレイできます。そのとき、旦那はつまらないことで私とケンカしていたので、私の機嫌を取るつもりで、「やってみようかなあ」などと口にしたのかもしれません(笑)。不承不承、私はオフラインで旦那のキャラを作り、ゲームを始めました。
ですがPSOはアクションRPGです。PS2のゲームパッドが使えない旦那が、GCのゲームパッドが使えないのは当然です。

案の定、旦那が操るキャラクタは挙動不審な動きをします(笑)。意味なく、フロアをグルグル回り(本人はまっすぐ進んでいるつもり)、挙げ句に迷子になるといった有り様です。(^^;

フロアを出るまで1時間。ようやく敵キャラの出現ポイントに来ましたが、やっぱり同じところをグルグル(本人は敵に向かっているつもり)。森のクマさんに囲まれて、私の援護もむなしく、あっという間に戦闘不能になってしまいます。(^^;

それでも、私は旦那にゲームを続けてくれるように話しました。私にしてみれば、これでもリハビリの一貫にならないかなあと考えたからです。

数週間はかかったでしょうか。旦那も徐々に操作に慣れ、敵が何とか倒せるようになってきました。キャラが成長し、アイテムも徐々に集まってくると、ゲームも面白くなってきたようでした。いつの間にか使うキャラも3人に増え、食事が終わるとゲームパッドを握るという日が続きました。ただ、やはり私とどこか似ているのでしょうか。方向音痴は相変わらずで、「どうしてここで迷うのよ!」というところで迷子になったりはしました。(^^;

そんなある日。

旦那が嬉しそうに会社から帰ってきました。「おい、ゲームの成果があったぞ」…はい??

聞くと、会社のある機械を使わなければならなかったらしいのですが、これまでは両手でもなかなか操作ができなかったようなのですが、スティック操作に慣れてしまった旦那は、何と左手でも何とか操作できたのだそうです。「よかったねー」そういう私に、旦那は満面の笑みを向けました。そしてそのまま、彼はテレビゲームの前へ…ヲイ。(-_-;

正直、そのときは、何でもやらせてみるものだなあと思いましたが、それがたとえテレビゲームであっても、できるようになれば、何らかの自信につながるのだと、改めて認識した次第です。

今はもうテレビゲームには目もくれない旦那ですが、そのときについた自信は、今でも彼を支えてくれているような気がします。


スマトラ島沖地震のこと [日常]

スマトラ島沖地震については、すでにたくさんの方がスレを立てていらっしゃるので、私があえてお話しすることもないと思っていたのですが、気になったことがあるので、少しだけお話させてください。

日本をはじめ、世界各国から救援の手が差し伸べられているのは、みなさんがご存知のとおりです。でも、国連会議の様子などを見ていると、今、この湾岸諸国をどう救うかではなく、これから先、誰が救援活動のイニシアチブを取るかとか、常任理事国入りを果たすためのパフォーマンスとしか思えない行動をとる国とか(とりもなおさず、これは我が国日本です)、そんな話ばかりに終始している気がします。

それ以外に、私が気になったのは、被害に遭われた現地の方々の反応です。

被災された地域のみなさんは、津波に住むところを奪われ、一切合財の財産をあっという間に失ったばかりでなく、しばらくはまともな仕事にさえ就けないという有り様です。温暖な気候故、伝染病などの蔓延を考えると命すら危ないといえます。現地の方々の心配と心労は、私たちの想像する以上のものでしょう。

ですが、先日のニュースの中で、半壊・全壊した家屋や商店に押し入り、さまざまな物品を持ち出す人たちを私は見てしまいました。

その中の男性のひとりは、胸に漢字のペンダントトップのついたネックレスをしていました。明らかに日本人のものとわかるものです。そして、そのネックレスにはエンゲージリングらしき指輪もぶら下がっていました。

「これは壊れた家の中から拾ってきたんだ」マイクを向けられたその男性は、笑顔でそう答えていました。

中には、亡くなられた人が身につけている装飾品を盗ってくる人もいるそうです。発見されたご遺体の身元確認が速やかに行われないのは、そうした理由もあるそうです。

コロンボなど、津波の到達した湾岸都市の中にも、ほとんど被害を受けずに済んだ大都市もあるそうです。もし、救援物資が無作為にこれら地域に届けられるようなことがあれば、物資が余る地域と不足する地域が出てきます。そうなれば、余った救援物資を売買してお金を儲けようとする人も出てくるのではないでしょうか。

「被災地域に最大限の援助を惜しまない」のは結構ですが、必要とされるところに必要なだけの物資・援助を行うための情報収集と組織の確立。そして、いろいろな意味での被災地域における治安の確保。それが何より大切ではないでしょうか。各国のこれだけ迅速な行動を無駄にしないためにも。


みなさん、よいお年を!、のこと [日常]

ブログを始めて2ヶ月。「雑記帳」という名前どおり、最初は私が日頃思うことや疑問に思うことを、つらつら書き連ねていこうとだけ思っていました。

ですが、私のつたない意見に賛同してくださる方や、ご自身のブログに私と同じような意見を書き込まれている方がたくさんいらして、とても嬉しくなりました。

また、いくつものブログを通じて、何人もの新しいお友達が出来たこと。これが何よりいちばん嬉しかったことです。

今年は父の入院から始まり、旦那のB型肝炎疑惑やガン疑惑など、病気に始まり病気に終わるといった感じの1年でした。

ですが、たくさんのお友達の声に助けられ、どうにか年を越せそうです。

この1年、みなさん、本当にありがとうございました。

そして、来年もまた変わらぬお付き合いをいただきますよう、お願いします。

それでは、みなさん、どうかよいお年を!


音楽の、こと [日常]

自分が落ち込んだり、迷っていたとき、いつでも音楽に助けられてきたような気がします。


ある日、密かに憧れていた男性から、突然呼び出されたことがありました。勝手に憧れている身としては「もしかしたら…」なんて淡い期待を抱きつつ、目いっぱいめかし込んで出掛けたわけですが、満面の笑みで迎えてくれた彼は「俺、やっと彼女が出来たんだ!」…がびーん…。

おそらく彼は、仲の良かった私に最初に報告したかったのでしょう。その場は「そう、よかったねー」と上辺だけ笑顔を取り繕いましたが、その後の落ち込み様は、正直、半端ではなく、丸3日、何も喉を通りませんでした。

ですが、当時放送中だった「セーラームーンSupers」のエンディング曲「らしくいきましょ」がテレビから流れているのを聞いていて、「そっか…私も、私らしくいかないとね…」と、なぜか納得できたのです。それからは、少しずつ食欲も出てきて、普段の生活に戻ることが出来ました。


一昨年のこと。お父さんと一緒に会社を運営している友人が胆管炎を患い、急遽入院・手術すると言うことになってしまいました。

旦那に話して、私は一時、東京の実家に戻り、そこから彼女の仕事のお手伝いをすることにしました。でも、慣れない環境・慣れない業務・慣れない人間関係の中での強行軍は、私にとってかなり辛いものでした。友人のお手伝いをしたのはわずかに3ヶ月だけでしたが、その間、朝8時出勤・夜11時帰宅・日曜休日なしという状況で、精神的にも肉体的にも疲れきり、私はダウン寸前でした。

その頃、私は毎日「FF XI」のBGMを録音したMDを聞きながら通勤していました。毎朝、普通に起きることも苦痛でしたが、この音楽を聴いていると、オンラインで知り合い、いつも私を励ましてくれた友人たちのことを思い出しました。「今も辛いけど…オンラインで白(魔導士)を育てていた頃に比べたら、まだマシかも」(爆)。結局、その想いだけで何とか無事に3ヶ月を乗り切ることができたのです。


特に仕事中、私はほとんど音楽を掛けっぱなしにしています。集中しているときは周りの音は全然気にならないのですが、仕事が煮詰まってきたときや気を抜いたとき、好きな音楽が流れていれば、やっぱり心地良いから。

CDの棚を眺めていると、ときどき昔聞いていたCDのジャケットに気がつくことがあります。眺めていると「あ、このCD聞いていたとき、こんなことがあったなあ」と、その当時のことを思い出します。中には思い出したくないこともあって、ずっと聴いていないCDもあるけど、懐かしさから久しぶりに聞いてみると、やっぱりどこか優しい。昔の思い出がいくつも蘇って、心が解けていくのを感じます。

みなさんは、どんな曲にどんな思い出がありますか? 最近、聞いていない曲はありませんか?

自分が好きだった音楽は、昔々、机の引き出しの奥にしまった宝箱によく似ているような気がします。このスレがきっかけで、また新たな気持ちで昔聴いていた音楽を聴いていただけるようになったら、とても嬉しいです。(^^)


本当にあった海外の怖いお話、のこと [日常]

誤解を解く、などと言うとすごくたいそうに聞こえますが。(^^;

これからするお話は、パソコン界では名高いアスキー出版という出版社から出版された、海外で本当にあった「13日の金曜日」ばりの事件ばかりを集めた本に掲載されていた物語のひとつです。

ですので、もしかしたら「この話はどこかで聞いたことがある」という方もいらっしゃるかもしれません。ですが、これは本当に起きた事件ですし、怪談でも何でもありません。また、私のオリジナルではありません。あくまで上記に述べた本からの抜粋であると言うことを前提にお読みください。ちょっち長文ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。

何分にも、私がこの本を読んだのがはるか昔なので、細部は違っているかと思いますが、その辺はご容赦くださいませ。


アメリカの片田舎でのお話です。

その日、両親は友人のダンスパーティに招かれており、8歳と6歳の姉妹はふたりでお留守番をしていました。

お風呂にも入り終わったふたりは、2階にある自分たちの部屋に戻りました。妹は2段ベッドの上の段で本を読んでいます。姉は2段ベッドに背を向けるようにして、鏡台に向かい髪にブラシを当てていました。

ふと、姉がベッドの妹を振り返ります。「ねえ、玄関に鍵が掛かっているか確かめてきてよ」「やぁよ。面倒だもん。お姉ちゃん行ってきてよ」「私、まだ髪が乾いてないもの。行って見てきてよ」「寒いし面倒だもん。やだよ」そんな押し問答がしばらく続いた後、姉が立ち上がりベッドの妹に近づきます。「じゃ、一緒に行こうよ」「やだってば。お姉ちゃんひとりで行ってきてよ」いつになく強引な姉の物言いに、妹は変な違和感を覚えました。

と、顔を近づけた姉が妹にささやきます。「いい? 黙って聞きなさい。私が合図したら、振り返らずに隣のおばさんの家に駆け込みなさい。振り返っちゃダメよ。私のことは気にしないでいいから」突然、何を言い出すのかと怪訝な顔をする妹でしたが、姉の顔は真剣そのものです。

「じゃ、行こう。おいで」言われるままに姉に腕を引かれて、妹はベッドを降りました。「先に行ってて」「うん」促されて妹が階段を降り始めたそのとき、後ろで姉が「走って!」と叫びます。わけがわからないまま、妹は階段を駆け下りて裸足のまま外に飛び出すと、隣のおばさんの家に駆け込みました。そのすぐあとに姉が走り込んできました。

最初に隣家に駆け込んだ妹も、駆け込まれたおばさんも訳がわからずキョトンとしているのに対して、姉の顔は青ざめ、ガタガタと震えています。そして震える唇でこう言ったのです。「おばさん。早く警察呼んで」

姉が言うには。

鏡台に向かって髪を梳かしているとき、目の前の鏡に、ベッドと床のわずかな隙間からこちらを覗くふたつの目と、銀色に光るナイフが映ったというのです。

下手に騒ぐと、逃げる前に襲われてしまうかもしれない。そう考えた姉は、妹だけでも無事に逃がそうと、玄関の鍵を確かめてきてほしいという作り話をしたのです。

通報から数分後。到着した警察は姉妹の家に踏み込んで、姉が言ったとおりにベッドと床の隙間で息を潜めていた男を逮捕しました。


というお話です。

どうも私の実家や友人の中では、このお話があたかも私が創作したものであるかのようなニュアンスで伝わっており、さらにそれが尾びれが付き捲って怪談のようになっています(笑)。

友人たちへ - というわけなので、誤解しないように(笑)。変な噂を吹聴したらダメだよー(笑)。

もうひとつ、印象深い話を覚えているのですが、それはまた機会があればお話しましょう。(^^)


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